TSUKINAMI project とは?
芸能プロダクションでアートディレクター・広報デザイナーをしている赤月瀾が企画する、オリジナルキャラクター・世界観プロジェクト。
いくつもの物語が、最後には全て繋がって一つの大きな物語となる。
“あかつきなみ”の“月並”なプロジェクトです。
(全て笑うところ)
物語シリーズ
赤月瀾 とは?
あかつき なみ。1992年生まれ。
アートディレクター・デザイナー・フォトグラファー・時々ライター。
武蔵野美術大学を卒業後、あまた業界を放浪する。親族の関係から日本の伝統文化、特に落語に関するアートディレクションを行う。
大学時代の恩師から誘われ、地域活性活動「わらアート」にも参加。ほか、サブカルチャーなど、幅広く活動中。
名前の由来は「真っ赤な月並み(=まぎれもない平凡)」
メンタルケアカウンセラー® / タロットカード士 / スピリチュアルタロット士
■ ポートフォリオサイト
■ 株式会社キングプロダクション
■ NPO法人わらアートJAPAN
赤月瀾の思う「デザイン」
デザイナーは「補う仕事」だ
まず、具体的な話をする前に、私の思う「デザイン」について触れたい。
「デザイナー」と聞いて何を想像するだろう。
“カッコイイ” “かわいい” “キレイ” “目立つ” “売れる” “パッとした” ものを作る人。
思い浮かぶのは、そんなイメージかもしれない。つまり、
「デザイナー」=
「ものに新しい価値を付加する人」
それが一般的な見え方だと思う。
もちろん、それも「デザイナー」の仕事の一部だ。けれど、私が美術大学で学んだ「デザイン」の本質は、そういったものではなかった。
「デザインの本質は『補う』こと」
大学の私の恩師ほか多くの先生が口にした言葉だ。
事物、全てには美しさが秘められている。そのものが本来持っている美しさを引き出すことが、デザイナーの本懐であるべきだ。そう教わった。
「美ってものは、見方次第なんだよ」
岡本太郎がそう述べたように、私たちデザイナーは、その時々の流行やその場限りの“キレイさ”に囚われてはいけない。クライアント自身でも気が付かなかった本質的な美を見極め、クライアントに提供していくことが、今デザイナーに求められている力なのだ。
「デザイナー」=
「欠けた部分を補う人」
そうあるべきであると私は考えている。
考える。
それ自体がデザインなのだ
デザインといえば、視覚的に見える“もの”に限って使われる言葉のように思われるかもしれない。
けれど、デザインできる対象は物質だけに限らない。
デザインとは「企画立案を含んだ設計あるいは意匠」のこと。「UXデザイン(顧客体験を設計すること)」もその一つだ。
そしてデザインは“顧客に対する商品や体験”だけに用いられるものではなく、作り手や商品を提供する側自身にも用いられるべきものでもある。
「デザインの本質は『補うこと』」
そして、
『補うこと』は当たり前を作ること
会社で例えるなら、社内データの取りまとめ、人材の配置、コミュニケーションの方法、資金繰りに至るまで、補うべき部分はたくさんある。
そして、会社が“当たり前”に回っていることは、さまざまな部分が、さまざまな手によって補われているからだ。
この世には『補う』名もなきデザイナーが無数に存在している。
持ち得る限られた手段の中で、いかに創意工夫するか。
デザインする対象は関係ない。
創意工夫し、考える。それ自体がデザインなのだ。
「補うこと」は当たり前を作ること
世間に取り沙汰されるものといえば
“新しい”もの
“目立つ”もの
“強烈な”もの
そんなものばかりだ。
しかし、“新しい” “目立つ” “強烈” “派手” なものだけが、この世の中全てではない。
“YouTuber” や “アイドル” だけでは世界は回らない。“営業” “企画”だけでは会社は回らない。世界には“エッセンシャルワーカー”が必要であるし、“総務” “経理”がいないと会社は立ち行かない。
多くの名もなきデザイナーたちが、日々『補い』「当たり前」を作っている。
けれど、その存在を意識することはあるだろうか。
この「当たり前」がどんなに大切であると、生活の中で意識する人はどれくらいいるのだろうか。
意識していないものほど
生活に馴染んでいるものほど
大切なんじゃないだろうか
人にとって「当たり前」は大切なことだ。
「当たり前」ということは、危険がない「安心」に繋がることだ。そして、「安心」とは「無意識」でいられることだ。
だから「当たり前」は足りないときだけ「意識」され、注目される。
TSUKINAMI project で目指すもの
心の隙間に“ピースをはめる”「物語」を作りたい
「デザイナー」=
「欠けた部分を補う人」
その信念に沿って
誰かの心の隙間に
“ピースをはめる”「物語」を作りたい
何かが欠けていたことで生まれていた「言い知れぬ違和感」。
それをデザインで補って「当たり前」に変えたい。
私も多くの物語に救われてきた。
悲しいこと、大変なこと、辛いことがあったとき、たくさんの物語が私を叱咤し励ましてくれた。目に見えない大切なものを思い出させ、新しい価値観を発見するチャンスを与えてくれ、何かをする勇気をくれた。
まるで心の隙間に“ピースをはめる”ように。
おこがましいことを言えば、私も、そんな誰かの背中を押す一助になる「物語」を作りたい。
私が作った「物語」が、誰かの心の隙間に“ピースをはまって”人の気持ちに寄り添えるものとなったら、とても嬉しい。
以下、その気持ちを体現するために考えた仕掛けを一部紹介したい。
!注意! ネタバレあり
消費者のニーズを満たす
挑戦した“ニーズ”
“なろう系” × “乙女向け”
!注意! ネタバレあり
大規模なミックスメディア
コンテンツの発展には、商業価値の創出が欠かせない。
しかし、様々な商業展開に発展したとき、物語の世界観とグッズ各種のイメージに矛盾が生じるのは多くのコンテンツにおいて、よくあることのように思う。
その“違和感”をなくしたい。
そのために、多くの仕掛けを用意している。
まとめ
心の隙間を補う物語を紡ぎたい
×
消費者のニーズを満たす
×
大規模なミックスメディアへの挑戦
つまり
“なろう系” “乙女向け”の皮を被った
“デザインの大実験”
デザイナーとして学んだことを全て懸けたプロジェクトにしたい。