鴉
オレが情けない顔をしていたからかもしれない。結姫先生が励ますように、両手で持った白い箱をオレの前に突き出した。
「タルト。買って来たから、一緒に食べよう」
薄く開けられた箱の隙間を覗くと、中に桃のタルトがホールで入っていた。
早速、魁君が手際よく切り分けて、大きめに分けてくれたタルトをオレに差し出してくれる。
いい匂いがして、オレは行儀が悪いと分かっていたけれど、近くにあった折り畳み机を引っ張り出して、そこで一足先にタルトを口に運んだ。
美味しい。久しぶりにこんなに美味しいおやつを食べたような気がする。
ふと結姫先生と目が合う。「お先に」とオレが言うと、結姫先生がとっても嬉しそうに笑った。
結姫先生達は奥のソファに3人で並んで腰掛けて、大きなテーブルを挟んだその向かい側に、シュンさんと琉央さんが座る。
魁君はといえば、さっきまで、お土産のケーキを切ったり、紅茶を入れたり忙しなく動いていたけれど、今はオレの近くに南京椅子を持ち込んで、オレが引っ張り出した机に肘をついて座っている。
結姫先生が例の研究室に入り込んだカイカイさんについて話し始めた。
「一也君とかすみを襲ったカイカイさんの件。どの監視カメラを確認しても、怪しい人物や物品や現象は見当たりませんでした。研究員全員を対象に丹電子障害に侵されていないか早急に検査が行われましたが異常はありません。もちろん外部から関係者以外が立ち入った形跡もない。つまり、誰かがカイカイさんになったという形跡はなかった」
「進入経路不明か」
シュンさんの声に、結姫先生は「えぇ」と一言相槌を打って、魁君が入れた紅茶に口をつけた。
「倉庫の並ぶあの廊下の入り口に設置された唯一のカメラに、前触れもなく現れました。
それから、睦先生からも言伝を預かってきました。カイカイさんのDNAも確認したが、大きく破損しすでに丹と一体化していたため照合不可。DNAは四形から三形に移行するときにDNAが大きく損傷し始める。つまり、四形から形態変化し、三系となってから3時間以上経過している。または……異常な速度で丹が患者の体内で異常増殖した可能性がある、と」
先生の言葉に、琉央さんが唸る。
「第四研究室の監視カメラがない場所を狙って出現した。または動画が改竄されている?」
「後者ではないかと私は予想しています。丹探知装置の作動が遅かったとかすみから聞いた。本来、緊急用シャッターが降ろされる前に警報が鳴るように設定されています。けれど、この一連の騒動ではシャッターが降りてから警報が鳴っていた。だから、かすみは逃げ遅れ、倉庫内に取り残されました」
結姫先生の言葉に、かすみ先生は黙ったまま小さく頷いた。
「第三者によって、意図的にカイカイさんが研究室に投入された可能性が高いと考えます」
「何のために?」
シュンさんが低い声で尋ねる。
すると「それが……」と結姫先生が下を向いた。
「研究室に侵入したカイカイさんについて、一也君が研究室に連れ込んだのではないか、という嫌疑が掛けられています。その嫌疑によって、一也君に対する緊急保護プロトコルの発動命令が下されました」
「緊急保護プロトコル?」思わず小さく声が漏れた。
「緊急保護プロトコルは本来、丹電子障害になった委員の保護を目的としていますが……。今回の場合、一定期間一也君を厳重に監視することが目的のようです。1日に1度私が一也君の身体管理検査を実施すること、つまり、一也君の様子を見ることを条件に捩じ込みましたが……」
結姫先生の言葉に周りの空気が凍るのを感じる。オレ自身も、得体の知れない怖さを感じて唇を噛んだ。
結姫先生が続ける。
「とはいえ、今回のプロトコルの詳細は私の元にまだ下りてきていません。……こちらの隙を突かれました。一連の出来事が、警衛委員会、または一也君を陥れるために誰かが作り上げたシナリオだとしたら———— 」
隙をつかれた。結姫先生のその言葉にはっとする。それって————
「———— ……オレが、倒れたせい?」思わず声が漏れた。
オレの言葉に、間髪入れず魁君が「もぉカズ〜」と呟きながらオレの肩に手を置いた。
「カズは何も悪くないよぉ。ここにいてくれることが奇跡だよぉ……」
「……ほんと?」
オレが聞き返すと、奥の席から「もちろん」と結姫先生の強く頷く声が聞こえた。
「魁君の言う通り、一也君は何も悪くない。そもそも委員が丹を連れ込むなんて物理的にありえない。丹について研究している人間なら誰でも理解できて当然の道理であるはずなのに……。それに、むしろあなたのお陰で新しい進展があった。誰かがあなた達を嵌めようとしている事が明確になった。
なにより……生きていてくれたんだから。……それが、重要なことだよ」
結姫先生の強く、それでいて優しい口調にオレは少し情けなくなって下を向いた。それでもその言葉がとても嬉しくて、小さくうん、とオレは返事を返す。