鴉
会場に入る直前、協力者が向かったと本部から通信が入った。
車内の空気が一層張り詰めたものになったのも束の間、フロントガラス越しに見えたその姿に僕達は3人揃って安堵の溜息を吐いた。
車に気付いた含満先生は、軽く手を挙げこちらに挨拶をしてそのまま中に乗り込んできた。
「あなた達に会う機会が多くて嬉しいわ」
挨拶もそこそこに、先生は3列目の席を陣取り持っていた手提げの紙袋を漁り始めた。
「あなた達の衣装を揃えてきたのよ」
その言葉通り、先生の目の前にはSPが使うような黒いスーツ一式が靴まで揃って人数文分並んでいた。その横に、イベントスタッフが着用するらしいTシャツとチノパンのセットも並んでいる。
「なんか衣装多くない?」
魁ツツジの言葉に、先生が笑う。
「あなたには受付スタッフ用の衣装も用意した方が動きやすいんじゃない?」
「ウケる〜、それ俺に諜報活動しろって事じゃん〜」
魁はそう言いつつ、さっさと受付スタッフ用の衣装に手を伸ばす。
「資料を読んだわ。ニックネームだらけで誰が誰なんだかわからないんだから、直接会った方が手っ取り早いじゃない。それにあなたそういうの得意でしょう?」
「入れ墨入れてる俺にそれ言う?」
「無愛想さんと女子大生風男子には無理よ」
「ウケる〜」とかなんとか言いながら、入れ墨を隠すためのドーランを塗る魁の横で僕は口を尖らせる。
「僕、そんなに女顔かな」
「若々しいって意味よ」
テキパキ作業する含満先生にあしらわれ、僕は仕方なく目の前に用意されたスーツに着替え始める。
「一也くん、大変みたいね。結姫ちゃんから聞いたわ」
「心配で仕事が完遂できるか今から心配〜」
「特にシュンが」
先生と魁の会話に、車を停め終わった琉央が割り込んでくる。
「琉央まで余計なお世話だよ」
僕が言うと、琉央は少し笑ってから含満先生の方を向いた。
「監視カメラ映像を傍受しました。護衛対象3名はすでに楽屋入りしている。プロデューサーである豊年氏も、現在護衛対象と楽屋にいるところを確認。
ほか、人材派遣マイカから社員が2名。アルバイトが1名。社員は控え室へ続く廊下の入り口付近と会場に1人ずつ。アルバイトは受付で例のニックネームスタッフを捌いている」
「ニックネームスタッフっ、」
魁が琉央の言葉を復唱し笑い出す。けれど当の本人は気に留める様子もなく続ける。
「含満先生は後方支援をお願いできますか」
琉央の言葉に、先生は「もちろん」と微笑んだ。
「ちなみに、すでに私が警備会社の責任者として豊年女史にご挨拶申し上げたから。すぐ乗り込んでも怪しまれる事はないでしょう」
含満先生が言い終わらないうちに、受付スタッフ用の衣装に着替え終わった魁が「おけまる~」と言って灰色の傘と黒いショルダーバッグを持ち上げる。
天気にそぐわない傘の中には、魁がいつも使っている脇差が仕込んである。灰色の傘の縁には蛍光塗料が練り込まれていて、停電やボヤに遭遇しても傘もとい脇差を直ちに発見できるよう設計されている優れものだ。
さすが、着せ替えが大好きな結姫渾身の一作といったところか。
「じゃあ俺一足先に、例のニックネームスタッフと統括アルバイトに挨拶してこようかな〜」
含満先生から建物のセキュリティカードを受け取り颯爽と出ていく魁の背中を見送りながら、僕もショルダーホルスターに腕を通した。