鴉
———— ばたばたと慌ただしい足音が近付いてきて、途端に角から細い影が真正面から飛び込んできた。
避ける暇もなく正面から軽くぶつかって、俺は反射的に倒れてくる影を抱き抱えた。
「おっとっ」
「っうぐ!」
腕の中からくぐもった声が聞こえて、その声の主がすぐさまこちらに顔を上げた。
「すんませんっ!急いでて、つい!」
ぶつかってきたのは少年だった。
イベントスタッフが着用するらしいTシャツの上から薄いグレーのパーカーを羽織って “班長” と書かれた黄色い腕章を左腕に付けている。
社員には見えない。アルバイトかも。
彼は俺を見て「えっと……」と目を丸くする。
「なぜここに知らない人が?」と、彼の目が俺に訴えかけていた。
俺は咄嗟に外行きの笑顔を作った。
「警備員として派遣された稲刈と言います」
セキュリティカードを見せると、少年は焦ったように俺から体を離して体勢を整えた。
「あっ!はい!ご挨拶が遅れてすみませんでした。SR-maidenマネージャーの壽です。えっと……」
少年、もとい壽くんが俺の全身を眺めながら「その服装は?」と続けて呟いた。
「警備のカモフラージュって感じで。受付でお手伝いもしながら中で見張ります。他のスタッフには内密によろしくお願いします」
「あ、なるほど! 潜入警備ですね! 了解です」
案外と物分かりのいい壽くんは「それなら、受付までご案内します!」と俺を伴って廊下を進んでいく。
俺は先に進んでいく彼の後ろ姿を観察しながらついて行く。職業病ってやつだ。
肩がまだ骨張って見えるし、服の上からでも背中の薄さを感じる。
脚だけすらっと伸びて、身体の使い方が覚束ない。年齢はレンと同じくらいかも。
何も話さない俺に気まずくなったのか、少しして壽くんがこちらを振り返った。
「えっと……」
気まずい、けれど気の利いた言葉が見つからないらしい。学生ぽいなぁ、とぼんやり思った。
ふと彼が左腕に着けている腕時計が目に入った。どこかで見た事があるような気がした。
「素敵な時計ですね」
俺は優しく話しかけたつもりだった。
すると、彼はあからさまに身体を強張らせて腕時計を右手でそっと撫でた。それから、ドギマギしてた様子で目を泳がせた。
「あ、これは……親友とお揃いの時計で」
「へぇ〜」
「……親友の、形見みたいなもんなんです」
ドギマギした割に結局素直に喋っちゃうところに学生らしい相応の幼さを感じながら、俺は「それは失礼。お気の毒に」と声を掛けた。
壽くんはそんな俺に、しまった、という顔をしながら、それでも優しい顔で「いや」と下を向いた。
「くよくよしてたらあいつに怒られそうだから。時々思い出して、慣れとく方がいいんです。でも、急だったから……まだ生きてるんじゃないかって気がするくらい。
———— ビルの崩壊事故で死んだから」
ビルの崩壊事故。親友。
俺は柄にもなくドキッとして、その腕時計を凝視した。
「…………誕生日プレゼント、……とかだったのかな?」
「そうなんです! あいつのことイメージしてカスタマイズしてプレゼントしたんだけど、オレも欲しくなっちゃって。秘密でお揃いにしたんです」
照れるように早口で喋る壽くんに、俺は浅く息を吐いた。
『……誕生日プレゼントで、親友に、もらったやつで』
こんな偶然があるなんて。
彼がそっと撫でるその腕時計は、レンが着けている腕時計と全く同じものだった。
レンが持ち物の中であの時計だけは心底大事にしているのは知っていた。だから印象に残っていた。
神様って本当に残酷なことをすると思う。
それでも、レンが今回の任務から外れていたのは幸運だったのかも。
「稲刈さん?」
黙り込んだ俺の顔を、壽くんが覗き込んだ。
「あ、ごめんなさい。ぼうっとしてて」
俺が笑顔を作ると、壽くんは明るい顔で気に留める様子もなく「いえ!」と姿勢を正した。
「スタッフ同士、知り合いばっかりなんで……。怪しまれないように、うちの新しいスタッフって事で話しとくんで。話し合わせてください。お願いします!」
受付に進んでいく壽くんの後ろ姿を眺めながら、俺はなんとも言えず唇を噛んだ。