鴉
僕は小さく息を吐いて、深く被っていた帽子を脱いで、彼女たちに向かって微笑んだ。
「ご挨拶が遅くなりました。KRS警備の果瀬です。本日は選りすぐりのメンバーで参りました。どうか、安心してください」
僕の言葉に、澪は少し肩の力を抜いてから、小さな声で「お願いします」と呟いた。その様子を見たあいらが、困ったように眉尻を下げた。
「私たちもご挨拶が遅くなってごめんなさい。鳥鼠あいらです。隣が篤鉄ハイリ、その奥が灰鹿野澪です」
「座ったままですみません」と続ける彼女を僕は制して、震えているハイリの前にしゃがみ込んだ。
ハイリが僕を目で追いながら唇を噛んだ。
「安心してください。僕たちがきちんと警備を行いますから」
僕が微笑んで見せると、彼女は顔を歪めて目を伏せた。それからそっと右手を僕に差し出した。
「約束、してください」
「約束?」
僕が尋ね返すと、彼女が差し出した右手の小指をそっと立てた。
「指切り。みんなが無事でいられるように。ファンのみんなも。スタッフのみんなも」
僕が困った顔で彼女を見つめると、隣にいたあいらが「ごめんなさい」とハイリの代わりのように呟いた。
「この子、トラウマがあって。こうなると著しく、その……」
言い淀む彼女に、僕は「そうですか」と笑いかけて、改めてハイリの方を向き直った。
「約束しましょう。僕も、警備員たちも、全力で守りますよ」
僕はそっと右手の小指を差し出して、彼女の小指に添えた。
「約束」
彼女はそう言って、僕の小指に自分の小指を絡めて、ぎゅっと力を込めた。
その様子を見ていた澪が、小さく息を呑んだ気配がした。僕が思わずそちらを見ると、目が合った澪が驚いた顔で僕の方を凝視していた。
「なにか?」
僕が尋ねると、澪が「いえ」と呟いた。
「指切り、手の形が珍しいなって思って」
「そうでしょうか?」
「古式舞踊やってましたか?」
間髪入れずに、やや食い気味に僕にそう尋ねた澪は真剣な顔をしていた。
「指、第二関節で曲げるの、古式舞踊の曲げ方でしょ?」
彼女に詰め寄られて、僕は思わず、うっ、と声を漏らしかけた。
「少しだけ……かじったことがありますよ」
その気迫に押されてしまったからだと思う。僕は自分のことをポロッと口走ってしまった。
たまたまでしょう、だとか、なんのことでしょう、と返すべきであったのは重々承知していた。けれど、古式舞踊という単語に僕は内心ドキッとしてしまったのだ。
そんな僕を見透かすように、澪は途端に驚きと期待の眼差しを湛えて僕の方へにじり寄ってきた。そして、焦った様子で僕の肩を掴んだ。
「あ!あの、あのね。私の知り合いが、古式舞踊の家元の息子のことずっと探してるんです。その人のこと、知りません?」
「こら、澪、ダメだよ」
「だって!古式舞踊なんてもう誰もやってないんだもん!こんな貴重なことある?ダンスの先生たち全員に聞いても誰もやってなかったのに!」
「だからって」
制止しようとするあいらを遮って、澪は僕に強い口調で続ける。
「あのね、その探してる人、家元の息子だから、古式舞踊やったことある人なら絶対知ってるって。
名前は……瀧源シュンっていう人!」
僕は呆気に取られて思わず黙り込んだ。いや、そう見えていたらいいなと思った。
内心、驚きと、悲しさと、嬉しさがないまぜになった感情で、油断したら涙が溢れてしまうんじゃないかと、1ミリも動くことができないでいた。
「澪がごめんなさい」と謝るあいらに、僕はようやっと「いえ」と小さい声で答えた。
そして、僕は努めて冷静に「すみません」と困った顔を作った。
「大昔に習ったきりで……なにも分からなくて」
「何か、小さいことでも、何か思い出すことはない?」
「いやぁ…」
澪は煮え切らない僕の態度に苛立ったように、自身のバッグからメモとペンを取り出して何かを書き殴り、メモを僕の手に握らせた。
「連絡先だけでも交換して」
「仕事上、お断りさせていただいています。 わかるようなら、僕から事務所にご連絡を…」
「だめ、私の個人に。これ、私の連絡先だから」
メモを返そうとした僕の手を、澪は上から強く両手で握ってそれを制した。
「お願い」
彼女が泣きそうな顔で僕を見つめる。
僕は何も言えず、ただ、眉尻を下げることしかできなかった。