鴉
「行政から派遣された君の身元引き受け代理人の東藤 です。君が暁星 一也 君だね」
そうやってオレの前に変なおじさんが現れたのは、オレが生きている事に絶望していた時だった。
病院で目を覚ましてすぐ、母さんが見つからない事を知らされた。ビルの崩壊事故に巻き込まれたんだと、理解するのに時間がかかった。
老朽化した配管から漏れたガスに引火した、いわゆるガス爆発が原因だったというのは、後から病院のテレビを見て知った。
アナウンサーの落ち着いた声と一緒に、現場の様子が中継で流れてくる。あんなに高く聳 え立っていた25階建てのビルが、跡形もなく崩れ去っていた。巨大なコンクリートの塊が荒々しくその場を占拠しているだけで、建物がそこにあったなんて、実際にその場にいたオレでさえ想像もできない。
無惨に大破したコンクリート。折れ曲がった鉄骨。何かの緩衝材だったらしいズタズタのスポンジ。押し曲げられた椅子。机の半分。その間を縫うように、救急隊や国家防衛隊員らしい大勢の人間たちが、忙しなく蠢いている様子が画面に映る。戦争の焼け跡か、災害の傷跡にさえ見える。
オレはそれを見て、母さんが死んだ事を覚 った。
あの日は母の日で、母さんの誕生日も近かった。それだから、看護師の母さんが勤める病院に遊びに行こうなんて、柄にもなく思いついた。いつも買わないプレゼントなんか、買って行ったりして。
まさか。そのビルが崩壊事故を起こすなんて。微塵も想像していなかった。
父さんはオレが10歳の時に死んで、それからずっと母さんと二人暮らしだった。頼りにしていた父さんが死んで、助けてくれるような近い親戚もいなくて、母さんが一番大変で悲しかったはずだった。
それでも、オレの前ではいつも笑っていた母さん。ただただ。働く、大変そうな母さんの背中を、オレはいつも見ていた。オレが大きくなったらきっと今までの苦労の分を返すのだと。オレはずっと思っていた。
それなのに。
まさか、母さんもこんなに早くいなくなるなんて、思ってもいなかった。
オレは背中に大やけどを負ったけれど、たまたま瓦礫の隙間で潰されずに済んだらしい。
正直、母さんが死んだ実感はない。遺体が見つからないからじゃない。きっと見つかったって同じ事だ。あんまりにも急すぎた。
ただ、身体中の血管が締め付けられるような不快感を感じる。
最後に母さんに掛けた言葉を思い出せない。プレゼントは渡せなかった。母さんを最後に見た姿もボヤけている。
申し訳ないことが多くて。「ありがとう」と、ちゃんと伝えられていたのか不安ばかり募 る。
「お前が居るだけでいいんだよ」そういつも言ってくれていた母さんの声を、思い出したいのに、思い出すと涙が出る。
感情が麻痺していても、体が悲しみを思い出させる。不意に力を抜くと目の前がかすんだ。
いっそ死ねれば良かったのに。母さんと一緒に死ねれば良かった。母さん。なんで。どうして、オレだけ生き残ってしまったんだろう。
今までしたい事もそれほどないまま生きてきた。目の前のことに、一生懸命生きてきただけだった。でも、思い返せばオレは何かと母さんのことを考えていた気がした。母さんの喜ぶ顔を見たいと思ったり、苦労をかけたくないと思ったり。
でも、それを行動に移せていたのか。母さんに何か、少しでもオレは恩を返せていたんだろうか。なんで、どうして。なんで、いなくなってから、こんなにも後悔が込み上げる。
考える事に疲れて何度も目を閉じた。けれど、全く眠れない。用意された食事も、全く喉を通らない。
なんでオレばっかり。父さんだっていなくなって、母さんまでいなくなった。なんで。どうして、こんなにも、辛い。悲しい事があまりにも多く降りかかるんだろう。イライラして、他人が憎くて無性に羨ましくて。悔しくて。
そう思うのにオレは何もできずに、ただベッドのシーツに身を委ねて、眠くもないのにまた目を閉じることしかできなかった。気持ちの行き先なんて、どこにも見当たらなかったから。