鴉
ようだった というのは、髪が長かったし、案外と童顔の綺麗な顔で、男女の判別が一瞬つかなかったからだ。
その人は右目の下に星が三つ、左頬に蝶のペイントか刺青を入れていて、オレより背が少し低い。けれど、きっとオレより年上だろうとは予測できた。
「おっちゃん遅いよ〜」
思ったより落ち着いた男性の声だった。その人は、今度はこちらを向いてにっこりとオレに微笑んでくれた。
「はじめまして。待ってたよ」
オレはドギマギして目を逸らす。待ってたよ、ということは貸切なんだろうか。それにしても「はじめまして」ということは、この人も関係者ということなんだろうか。
「疲れてるでしょ。空いてるとこ座って」
そう臙脂色のソファに座るように促されて、疑問を抱えながらもおじさんの横に腰を下ろす。その人もオレの目の前に腰かけた。
「俺は和泉 魁 。何でも聞いてね。源氏名はツツジだよ」
「源氏名……」
オレが眉間にシワを寄せると、その人は愉快そうに「偽名偽名!」と笑った。
「偽名で呼んでくれてもいいけど、仲間はみんな魁って呼んでくれるし、もしよかったら魁って呼んでね」
「はぁ」
オレが困って目をそらすと、魁さんはオレの方を覗き込んだ。ドキッとして唇を噛む。
「そういえば、名前なんだっけ」
「え?」
「なんて名前?」
顔をなおさら覗き込まれて、オレは思わず「うっ」と吃 る。
「あ、偽名じゃなくて、自分自身の名前を教えて。偽名はもう少ししたら上から支給されるんじゃないかな〜?」
オレは助けを求めておじさんの方を見た。オレの視線に気づいたおじさんは落ち着いた声で「教えてもいいんじゃないかな」と言った。
「…………暁星一也、です」
オレが前を向いてそう言うと、魁さんは物珍しそうに「へぇ〜」と相槌を打った。
「漢字は?」魁さんが言う。
「……漢字?」オレは戸惑って、少し考え込む。
「えっと…………夜明けの暁にスターの星で暁星、一也は一にカタカナのセみたいな、なるって読む字の也」
オレが答えると、魁さんは「うわぁ〜めっちゃいい名前だねぇ!!」とはしゃぐように言った。
「羨ましいなぁ〜。ってか素直に答えてくれるんだね、超いいこじゃん。ウケる」
笑顔でそう付け加えた魁さんにオレは少しムスッとする。答えてやったのに、ウケるってなんだ。
そんなオレをよそに、魁さんは「あ」と思いついたように立ち上がる。
「飲み物出してなかった。コーヒー淹れてこようか。お茶がいい?」
「なんでも……」とオレが答えると、魁さんは「ん〜」と少し悩んでから「じゃあ、紅茶にしようかな」と言った。
「紅茶の方が好きそうな顔してる〜」
「え」
「そうだ! あと、2人いるんだ〜。紹介するね。今呼んでくるから」
戸惑うオレを置いてけぼりにして、魁さんは軽い足取りで奥に引っ込んでいってしまった。
オレは辟易しながらため息をつく。マシンガントークってやつだ。そういえばしばらくの間、誰ともこんな風に話をしていなかった。久しぶりだからか、とても疲れた気がした。
ともあれ、一体あの人は何者なんだ。
「あの」とオレは呟いておじさんの方を向く。
「あの人は……?」
「君と同じ、能力を持って集まった人間だよ」
「……へぇ」
あの人が。考えてオレは俯いた。あと2人。ということは、あの人を合わせて3人か。
オレの他に3人も同じようなのが居るんだと思うと、なんだか不思議な気持ちになった。
「オレみたいなのが居たんだ」
オレの呟きにおじさんが「驚いた?」と言ってにっこりと笑った。
「少し。あと3人もいたんですね」
オレが言うと「そうだね」とおじさんも呟いた。
「君と同じように、協力してくれると言って、今ここに居るのは3人だ」
「ほかには?」
「これで全員。君を含めてやっと4人になった」
「協力しないって言った人もいるんですか」
「いるよ」
「……ふーん」オレは言って下を向く。
詳しく聞きたかった。けれど、反対に聞いてしまうのが怖くて口をつぐむしかなかった。
確かに。もし、何も心配なく、幸せに生きている時に「戸籍を捨てるか?」と聞かれたとしたら。間違いなく、監視される道を選ぶに違いない。
だって、戸籍を捨てて国に協力すると決めたら、もう二度と大切に思っていた人に会えないんだから。
オレはどうせ、どちらにしろ会えないし、頼れる近しい人はいないけれど。
胸が苦しい。誰とも知れない “断った人間たち” が心底羨ましい。妬ましくて涙が出そうになる。
なんでオレだけ。病院を出るときに捨ててきたと思った感情が蘇ってくる。
ここにいる3人はどうして、戸籍を捨てることを選んだんだろう。もしかして、オレと同じような境遇を抱えていたりするんだろうか。
そうだったらいいな、と。少し考えて、苦しさが落ち着いていくのを感じる。
オレだけじゃない。そう思いたい。
酷いことを思っている自覚はある。それでも。それが今のオレの唯一の慰めであることに違いはなかった。