鴉
怖い。
「一也?」
傳さんの声でオレは我に返る。
声の方を見ると、傳さんは不思議そうな顔でオレの方を振り返っていた。いつの間にか、オレは立ち止まっていたみたいだ。
「何か気になる?」
「いや……」
言葉を続けようとした、その時だった。
—————— シューーーー
「、うわっ…………!」
通気口から空気の漏れる音がして、オレは思わず頭を抱えてしゃがみ込んだ。
崩れる! そう思った。
けれど、少しして予測していた衝撃がやって来ないことに気付いて、体の緊張を少しだけ緩める。心臓がすごい速度で脈打っているのを感じた。
息が苦しい。
琉央さんが、オレの顔を控えめに覗き込んでいるのが見えた。
「どうした?」
琉央さんと目があう。北の国の湖みたいな、翡翠色の目だった。
「いや、その……」
オレは思わず吃って、目を背けた。誤魔化そうと思ったけれど、誤魔化せることなんてこの状態で何もないと諦める。
もう一度、息を吐く。その、と言葉が漏れた。
「ちょっと、事故の事……思い出して」
「事故?」
琉央さんに尋ねられて、オレは息を整えてからゆっくり、パニックにならないように言葉を選んだ。
「ここに来る前に遭った、ビルの崩壊事故。……その時も、こんな匂いがして……。それから。通気口から、同じ音がしたんです」
オレの口から出た言葉は、思った以上に辿々しかった。それでも、琉央さんは「そうか」と真剣に頷いてくれた。
けれど、その後少しの間、何も言葉が返ってこなくて、心配になって、ふと琉央さんの方を見る。
琉央さんは視線を外して、口元に手をやって真剣な顔で悩んでいた。
「あの……」
オレが声を掛けると「ん?」と琉央さんがこっちを向く。
「ごめんなさい」と咄嗟に謝った。
「オレ、わけのわからないことを言ったかも」
続けて言うと、琉央さんが「そう?」と言った。
「ごめんなさい」オレはもう一度呟く。
「どうして謝るの」
「だって、変なことを言ったかなって」
琉央さんは微かに困った顔をした。
「……一也がここに来るまでの概要は把握している。ビルの崩壊事故に遭遇し、救出の際に行われた検査で能力が判明しここに来ることになった。そして、事故に遭った時と酷似した状況に見舞われ、記憶がフラッシュバックし恐怖を追体験している。
従って、わけはわからなくない。そうだな、僕自身の実感はないから深く共感はできないかもしれない。それでも、理解が出来ない訳じゃない」
「えっと」
「仕事はかなりハードだ。ゾンビ系FPSを生身で行うのは伊達じゃない。些細な事でも命取りになり兼ねない。そして、これからここは一也の家になる場所だ。一也がここに住むにあたって、少しでも懸念があれば取り除いておきたい。休養は重要な作戦の一つだ。解決策を見出したい」
下を向いてまた考え込む琉央さんに、オレは居た堪れなくなって唇を噛む。
このまま泣いて「怖い」と縋ってしまいそうだった。
でも、と思い直す。
自分で決めてここまできたのに、役立たずだと思われたくない。それに、所詮他人は他人だ。しかも今日会ったばかりの。そんな人に甘えるなんて非常識だ。そんなことしたら自分勝手だろう。
涙を堪えていたら、琉央さんが「取り敢えず」と呟くのが聞こえた。
「解決策は必ず探しておく。一也は、この場所が怖い?」
「そんな事は……」オレは強がって咄嗟にそう答えた。
けれど、琉央さんの真剣な顔を見てすぐ思い直した。
「嘘。……本当は怖い、です」
オレが言うと、琉央さんがその答えを待っていたかのように「それなら」と間髪入れずに呟いた。
「もう一つ共有スペースがある。そっちから紹介しよう。こちら側の設備はあとから紹介しても問題ない。地図で把握しておいてくれればいい」
「ごめんなさい」
オレがもう一度謝ると、琉央さんは首をかしげる。
「謝る理由が分からない」
「でも」とオレが言うと琉央さんがそれを「まあ」と遮った。
「僕の性分として。問題提起に対して解決策や最適解を見出す事が趣味のようなものだ。趣味に付き合ってくれていると思えばいい」
「……」
「取り敢えず移動しよう」
立ち上がった琉央さんの手を借りて、オレも立ち上がる。細いと思っていた琉央さんの腕が案外と逞しくて、オレはホッとして肩の力が抜けるのを感じた。
「第二会議室に行こうか」
琉央さんが言った。