鴉
「これから琉央先生 に教わって、そこの訓練室であなたの能力検査と、訓練の導入を行ってもらう。一応異常感知器はあるしガラス張りだけど、監視カメラがない唯一の訓練室だから。気兼ねなくね」
「ありがとうございます」
オレが答えると、結姫さんはまたにっこり笑って「よろしく」と呟いた。
「そうだ」と、結姫さんがまとめた書類を抱えながら魁君を見た。
「魁君、お願い事頼んでもいい?」
「りょうか〜い」
魁君が答えて、部屋を出て行こうとする結姫さんについていく。
結姫さんが不意にこちらを振り向いた。
「琉央、ちょっと魁君借りるから」
「前提として、魁は僕の じゃない。魁がいいなら好きにすればいい」
琉央さんは無表情だった。そして、そのままスタスタと左手のガラス張りの部屋に入っていく。
「あぁ〜、はいはい」
結姫さんが呆れた声で返事をするのが聞こえる。オレも、失礼だけど少し呆れてため息を吐いた。
結姫さんを見送って、オレは琉央さんに続いてガラス張りの訓練室の中に入った。
琉央さんが後ろ手で照明のスイッチを入れる。ブンッ、という音が鳴って、辺りが一気に明るくなった。
柱も窓もない、体育館みたいな空間だ。薄いグレーの床で、天井と壁は白い。壁際の床に、通気口らしい柵付きの溝があって、あとは天井に点々と埋め込み式の照明と報知器の様なものが付いているだけ。他は何もない。
どんな訓練なんだろう。
一応、体を動かしても問題ない服装だし、何が起きても心の準備はできているつもりだ。
オレは琉央さんと一緒に訓練室の真ん中まで進んでいく。緊張する。オレは唇を噛んだ。
琉央さんが立ち止まって、こちらを振り向いた。
「訓練を始める前に。一也は丹電子障害 という言葉を知ってる?」
「……都市伝説の?」
「そう」
訓練になんの関係があるんだろう。
少し眉間にシワを寄せながら、オレは「学校で噂が流行ってた」と小さな声で答えた。
「なら、その噂、どこまで知ってる?」
琉央さんに尋ねられて、オレは考え込む。
「昔流行った病気で……赤いアザが身体中に回って死ぬ病気。原因は分かってない、って事くらいしか知りません。不衛生だった事が一番の原因で、日和見病、っていうものなんじゃないかって言われてるらしいし。今はそんな症状になる人も居ないから、病気というか……色んな似通った症状を、まとめて丹電子障害って言ってたんじゃないか、ってところまで」
「……もし、その病気が今も伏在しているとしたらどうする」
「ふくざい?」
「今も何処かで人を殺している。隠れて見えないだけで」
「……、」
オレは、思わず背中が緊張する。
『人を殺している』その言葉があまりにも強烈だった。
「……じゃあ、病気はまだあって、しかも不衛生が原因じゃなかったってことですか?」
「そう」琉央さんが答える。
「原因の真相は、その噂とはかけ離れた全く違う物だ」琉央さんが言いながら、ポケットから何かを取り出した。
「これに見覚えはない?」
見ると、琉央さんが持っていたのは赤い塊が入った瓶だった。
はっとする。あの日、オレが勝手に触ったやつだ。
「ごめんなさい」
咄嗟に謝ると「いや」と琉央さんが言った。
「語弊を恐れず言うけど、荷物を触ったことを謝る必要はない。あそこは一也の家にもなる場所で、家にあるもの全ては一也の物でもある」
「でも」
オレが言うと、琉央さんは少し表情を緩めて「気に病む必要はないよ」と言ってくれた。
「第一。触ってはいけない物を触れる場所に置くな、と言う話だ。個室はその為にある」
「……はい」
「話を先に進めよう」
琉央さんが言った。
「これは “丹 ” という、ウィルスとも、無機物とも個体ともつかない、得体の知れない、未だ人智が及ばない物質だ」
「…… “丹 ” 」
「そう。これこそが、丹電子障害の真の 元凶。不用意に直に触れれば、君の肌はすぐに赤く染まって、丹が全身に回り死に至る」
「そして」と琉央さんが続ける。
「丹に侵された肉体は、その後自らの意思が疎外され、丹として活動を開始する。丹に乗っ取られた肉体は、他の生命体も丹に変えるために徘徊し無差別に襲いかかる。理解しやすく例えるなら、まるで “ゾンビウィルス” のように」
オレはぞっとして唇を噛んだ。
じゃあ、オレはあの日。そんなものに気を取られて。しかも触ろうとして、ひいては死のうとしていたのか。
なんで。そもそも、なんであんな行動を取ったのか。オレ自身もよく分からない。あれは無意識だった。
ぐるぐる考えるオレをよそに、琉央さんは構わず続ける。
「僕たちは丹電子障害 警衛委員会 。“丹電子障害” 及び、その原因物質、“丹” という “あってはならない” 存在を抹殺する国家機密組織」
「あってはならない?」
「国が無いと公言するなら、それを実現させ、その状態を保つのが “国家機密組織” である僕たちの役目だ。そんな物質がこの国にある。しかも、この物質の所為で何人も、日々死者が出ているなんて知れたら国民はどうなるか。それを知った他国で、秘密裏に軍事転用されたらどうなるか」
オレは押し黙る。 難しい話はやっぱりよくわからなかった。
「一也」と琉央さんが優しく言った。
「言いたいことが山ほどあるのは分かる。不可解なことばかりかもしれないし、納得がいかないことも多いと思う」
「……」
「とはいえ、僕たちは丹電子障害警衛委員会 だ」
オレは首をかしげる。すると、琉央さんが微かに表情を緩めた。
「僕たち委員会のメンバーには、丹を却 け、無害化する力がある」