鴉
「一也〜、大丈夫〜?」
目を覚ました時、オレは訓練室の床の端の方に仰向けに転がっていた。
イマイチ状況を把握できなくて、声の方を見てやっと、オレ自身の身に起きたことを一から全て思い出した。
一瞬、母さんが死んだことも忘れていた。それだから、少し、自分が目を覚ました事に残念だと思った。あのまま何かわからない、大きなものに身を任せて飲み込まれてしまった方が、全てを忘れて幸せだったんじゃないかと思ったから。
けれど目の前にいた魁君を見て、そんなことなかったかも、と思い直した。心配そうな顔でオレを見る魁君の鮮やかな躑躅色の目が、うるうるして、今にも泣きそうだったからだ。
「大丈夫」
オレは言って体を起こした。
本当はまだ頭がくらくらして、眩暈もするし、まるで麻酔から目覚めたみたいだった。
けれど、そんなオレの様子に魁君がとても安心したように「よかった」と呟いたのを見て、オレも心底「よかった」と思った。
「琉央さんは?」眩暈を誤魔化して尋ねる。
「ゆきちゃんと話し中〜。あ、ゆきちゃんてのはさっきの研究員さんね」
話。何だろう。オレは何かいけないことをしたんだろうか。
あのまま。怖い、その先に行こうと言われたから。その通りに、自分なりにしたつもりだったのだけど。
少し黙り込んで、思わず「オレ、また迷惑……」と呟いた。
「何言ってんの!! 迷惑なんかじゃないよ! すごいよ! 初っ端でここまで成果出したなんて!」
「…………どういう事? よく分かんない」
オレが尋ねると、魁君は「ん〜〜〜〜」と目と口を線みたいに伸ばして首をひねった。
「なっんで琉央くんってば途中でほっぽり出して行くかな〜。本当にサイコパス〜」
オレも一緒に首をひねると、魁君は笑ってオレの隣にぴったりと膝を抱えて座り込んだ。
「俺たちが何者なのか。“丹電子障害” っていうのは何か、聞いた?」
「うん」
「ビンに入ってたのが “丹” っていう諸悪の根源だって事は?」
「聞いた」
「 “丹” によって “丹電子障害” になっちゃった人も、“丹” になっちゃうんだよ! ゾンビみたいに! ……っていうのは?」
「……なんとなく、聞いた」
「じゃあ、今しがた一也がしたことが “同調 ” と “共鳴 ” っていう動作だって事は?」
「…………聞いてない、と思う」
「もおぉぉぉぉ。一番重要なところ抜けてるじゃん〜〜」
魁君は言ってオレの方に向き直った。
「あのね一也! “丹” を無害にするためには “丹” と “同調” して仲間と “共鳴” しながら丹を壊さないといけないんだよ」
「……なるほど?」
魁君はオレの様子に「うーーーん」と唸る。なにも納得していないのがバレたみたいだ。魁君は頬をかきながら「そうだなぁ」と首を捻った。
「言葉じゃうまく説明できないんだけど……。ビンの中の丹を見たとき……そうだな、頭ぼっとしない?」
「する。……なんか、無意識に引っ張られて、おかしくなる」
「それ! それが “同調” してるってこと!」
「……同調」
「そう。で、一也は気を失った。つまり “同調” の末、丹に負けちゃったわけ」
「……勝ち負けがあるの?」
「まぁ、言葉の綾だけど〜。丹に意識を持って行かれて気を失ったでしょ? 丹に呼ばれて、それに心のまま応じて」
オレはその“同調”の時のことを思い出す。
確かに。あの感覚が“同調”で間違いないのならば。あれは、多分、多幸感っていうものなんだと思う。
例えが、うまく思いつかない。けれど、夢の中にずっといて。苦しみを全て忘れて。後先の不安なんてどうでもよくて。ただそこにある快楽に身を任せているような。
そんな感覚だった。
「それでね」魁君が言う。
「そのまま意識を持っていかれると死ぬんだ。丹に飲み込まれて、自分を忘れて、丹に自分が乗っ取られる。それが丹電子障害」
「……オレ、死んだの?」
「あははは、大丈夫! 生きてる生きてる! ちなみに “丹” はどうやって人間に取り憑くのか、メカニズムがまだわかってない。とりあえず、生命体全てに伝染するってことは分かってるんだけど〜」
「……取り憑かれないようにするにはどうすればいいの?」
「そうだなぁ。絶対ってことはないけど、直接触らないこと。意識を持っていかれないこと、かな。不用心にしてると、本当に死んじゃうから。また説明されると思うけど」
「……へぇ」
魁君の言葉に、オレはぞっとして膝を抱えた。
魁君は続ける。
「厳密に言えば、一般人も丹と “同調” はする。でもね、俺たちみたいにその様子を事細かに思い出すことはできない。そもそも、この感覚を享受する器がないんだ。この感覚を認識する暇もなく、わからないまま、一瞬のうちに丹に飲み込まれていく。器がある、“同調” の事を事細かに覚えてるってことは、丹に勝つ事ができる。飲み込まれる事を防ぐ事が出来るって事」
「……オレには器があるってこと?」
「そういうこと!」
魁君が言って、傍に置いてあった瓶を拾い上げる。
「このビン、見覚えがあるんだっけ?」優しい声だった。
うん、とオレは頷く。
「オレ、あの日。魁君や琉央さんに会った日、……いけないってわかってた。けど……———— 」
「———— 無意識に近付いた?」
魁君に言われて、もう一度頷く。
「引き寄せられたんだ」
すると、魁君は満足そうに「それそれ〜」と頷いた。
「一般人もね、引き寄せられてるんだよ。“同調” してるんだ。でも、それは全て無意識どころか、引き寄せられたって事実にさえ気が付かない まま飲み込まれる」
「じゃあ、オレは気が付いたってこと?」
「そう! その “気が付く” っていうのが肝心」
オレは下を向く。
「じゃあ」と呟くと魁君が「ん?」と首を傾げた。
「みんなも、魁君も、引き寄せられるの?」
「もちろん。というか……多分だけど、オレなんか一也より強烈に引き寄せられてると思う」
「………ふーん」
オレはよく分からないまま相槌を打った。