鴉
オレはまた言い淀んで黙り込む。
“瀧源さんと共鳴すること” が、怖いのは確かだ。けれど、それ以上に瀧源さんともっと話したい。どんな人なのか知りたい。近付きたいと思う。
理由は分からない。これは、なんていう感情なんだろう。これをこのままにしては、いけない気がする。
けれど。
「わからないや」
オレはため息を吐いて膝を抱えた。
分からないものは分からない。 途方もない迷路に迷い込んだみたいだ。もしかしたら答えのない質問に答えているようにも思える。
オレは困って膝に顔を埋める。
眩暈がする。目を瞑っても世界が回っているように感じる。ゆっくりと息を吐いた。
すると、魁君がため息を吐く気配がして「一也」と優しくオレの背中に手を置いてくれた。
「俺、お察しの通り、相棒が琉央くんなんだけどさ」
「うん」
「オレも最初、きっと一也と同じ気持ちだった気がする。琉央くんと組んだ時」
「……」
「まぁ、人の気持ちを決めつけたくないからさ。参考程度の昔話だけど」
魁君は言って少し身じろいだ。
「俺、最初琉央くんのこと、よく分からない存在だと思ってた」
「……うん」
「きっと、今の一也とおんなじで。無性に気になった。何を考えて、何を大切にしてるんだろうって。でもね、初めて会った時の印象、超最悪で……。琉央くんと共鳴するのが、とっても怖かった。それに、相棒だから 一緒にいないといけないって思ってたけど、気持ちが全然追いつかなかった」
オレは顔を上げて魁君を見る。
「そんな風に、今は思えないけど」
「あははっ、ほんとぉ〜? でもあのとき超やばかったよ〜俺たち」
「……そうなの?」
魁君は顔を上げて遠くを見つめた。
「生まれ持った遺伝子で、俺は琉央くんの相棒になった。けど、相棒に決まったその時……気持ちも、状況も、体も、全部が分離した状態だった気がするんだよね。多分これから先、一也も、そのギャップを埋めていくことになると思う。だから、追い付かない色んな気持ちとか、状況に対して、名前を付けたくて、概念に当てはめたくて、必死になると思うんだよ。俺がそうだったみたいに。
仕事相手? いや、それ以上の気はする。なら家族? 友達? 親友? 恋人? 相棒? 片割? ソウルメイト? 遺伝子メイト? って、バカみたいに考えてた。でも……無性に琴線に引っかかる気持ちは、そう言う概念、名前によって先に重さを量ったり、枠を決めちゃいけなかった。その人の方に気持ちが動かされるなら、まず、気持ちを正しく嚙みしめないといけなかった。
先に名前や概念を決めちゃダメだったんだよ。名前に左右される関係は、その名前に依存して、本当の関係性をウヤムヤにしちゃうから。
現在、今、この瞬間を置き去りにして考える程、名前や概念は価値を持たない事だった。今、思う気持ちを大切にしないといけない。目を逸らさないように。それが積み重なって、後から関係や感情に名前が付く。
……まぁ、他人だからね。お互いに意味不明なことも沢山あるんだけどさぁ〜。共鳴してるとお互いに嫌な所とかムカつくところとか分かってくるし、くくっ、ウケる」
魁君は笑ってオレの方を見る。諦めたような、なんだか切ない顔をしていた。
「気になるってことは、出会った時からすでに自分の一部に、いつの間にか組み込まれて、その存在が俺の一部を作ってるっていう気がするんだ。オレの場合はね?
もちろん琉央くんは任務の上での相棒として必要って事もあるけど。それ以上に “存在” そのものが重要で。
だから、関係性に名前なんて必要ない。今、この一瞬のために、琉央くんを守ることとか、一緒に、後悔しないように色んなことすることの方が大事だって思ったんだよ」
「やっぱり、」思わず呟く。
「うん?」
「ちょっと……よくわからない」
すると、魁君はにっこりと笑って、オレと同じように膝を抱えた。
「言葉にできるできないはどっちかというと重要じゃないんだよ。一也の “感じた事” が重要。あんな事したシュンちゃんの事、もし、まだ嫌いじゃないならさ。その気持ちそのまま大切にしてね。
自分の気持ちに嘘を付かない事は、時に苦しい事もあるかもしれない。けど、本当に望んでる気持ちや理解や安心、納得は、嘘の気持ちじゃ手に入らないと思う。それでも、人っていつも…………。目の前で起きてる事から目を逸らす口実を、名前をつけることで探してるんじゃないかって。俺は思うよ……」
声が途切れて、オレは魁君を見る。
切ない、何かを考え込んだような顔だった。珍しい顔なんだろうと思う。だから、会って日が浅いのに、こんな人だっただろうか、と不安になる。
この人も優しい人だ。きっと、“優しい” の本当の反対側を心底知っている人なのかもしれない。
それだから。 会ったばかりの、こんなオレにもこんなに深く、優しくしてくれるんだと思う。 本当に、オレの事を考えてくれているのかも。
魁君自身の利害なんか、そもそも存在さえしないみたいに。まるで自分を、自分の経験や助言を吐き出すだけの入れ物みたいにして。
寂しい。何だかオレに似ている。
自分のこと、入れ物にしているところが。
「なーんてね!」
魁君はいきなり少し大きな声を出して姿勢を正した。 オレは驚いて目を丸くする。
「俺の言えたギリじゃないし。参考程度って事で。昔話、俺がしたかっただけ!」
そう言って、魁君は立ち上がる。
「なるようになるよ。一也なら大丈夫。それに! 俺たちもいるから! もちろん! そこ忘れないでよね! 俺、ちょっくら琉央くん呼んでくるよ。一人で待ってられる?」
尋ねられて、うん、と頷く。
立ち上がった魁君の全身を見て、さっきと違う髪形だったことに今更気がつく。
ポニーテールに結った髪を揺らして、魁君が駆け出していく。後ろ姿を見送って、オレは姿勢を直す。
床に伸ばした手に何かが触れた。大きな上着だ。琉央さんのかもしれない。
気が付かなかったけれど、しわくちゃ具合からして、きっとオレに掛けられていたみたいだ。
オレはそれを拾ってギュッと顔を埋める。
埃と、木の匂いがする。
オレはその匂いを嗅ぎながら唇を噛む。
魁君のように。
オレも瀧源さんのことを、ある意味で、客観的に、正しく考えることはできるんだろうか。
もしくは。瀧源さんは俺のことを、そう思ってくれるんだろうか。
羨ましい。
魁君にそう思ってもらえる琉央さんも、琉央さんに心を許されている魁君も。
羨ましくて、悔しい。オレは、心の底からそう思った。