TSUKINAMI project

TSUKINAMI project

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 “耳” の代わりに、例えるなら “心” を澄ませて。

 そして、ゆっくり息を深く吸う。

 今日の任務は終わっていた。簡単な清掃作業だった。けれど、僕はもう一つ気にかかることがあって、この日もビルの屋上を歩いていた。

 僕がネット掲示板で独自に入手した情報によれば、2ヶ月前、この近くでカイカイさんが目撃されたらしい。

丹化第三形態 (たんかだいさんけいたい)ヒトガタ。都市伝説名『カイカイさん』。

 “丹電子障害の末期患者だ” という未だ都市伝説に収まるその噂は、紛れもない真実だ。

 午前3時。やつらは暗い場所を好む。昼間は人気のない地下に潜って、夜にひっそり動き始める。見つけるにはちょうどいい時間だ。

お上 (・・)は、まだその存在を確認できていない。

 本当なら、丹の目撃情報はお上にもれなく報告するのが僕らの義務だ。けれど、そんなことをしていたらいつまで経っても丹を殲滅することなんかできない。

 存在を発見して、調査、認知し、書類を通して、隊を組み替えて。研究室に話を通してしまったら、きっといろんな手続きに手間取るだろう。

 そんなことをしてる暇なんかないんだ。

 それだから。

 あたかも偶然を装って。そっとみつけて。殺してしまおう。

 お上だって、きっとこのことを知っている。僕が勝手に判断して、勝手に動いていることを。けれど、僕は “野放し” にされている。または “そのように見える” 。

 早く丹を殲滅したいのはお互いに同じだ。けれど、小回りを効かせるには何かと面倒なことが多い。“利権” ってやつだ。

 だから僕にやらせる。何か問題があったら、僕のせいにすればいい。

 僕は全て知っている。けれど、それを知らないふりをしてあげる。そうして、僕の思う “正義” を振り(かざ)す。

 人々の生活を守る。人のためにこの身を尽くす。命が尽きるその瞬間まで、人命を守るためにこの身を使い果たす。

 そのことだけが、取り留めのない僕の存在意義だ。

 だから。口実を作って、利用してあげる。僕の正義、そして、僕の心の安寧のために。

 古い雑居ビルの屋上。最近後付けされたらしい新しいフェンスの側にそっとしゃがみこむ。

 音叉を膝に叩きつけてから、柄を強く前歯で噛む。澄んだ音が僕の頭に響いて、僕が僕であることを思い出させる。

 そうしてゆっくり目を閉じる。そして丹を喚ぶ。

『僕はここにいる』

『お前の仲間がここに居る』

 少しの間、じっと息を止める。微かな気配も逃さないように。

 集中する。

 この場所はいつも静かだ。今まで何度も “ここ” で彼らを呼んできた。

莢蒾 (がまずみ)地区。出動頻度が高い地域だ。

 ネットで話題の都市伝説の殿堂は伊達じゃない。本当にこの地域に何かあるのか。ただの偶然か。

 確かに、他にも出動頻度の高い地域はたくさんある。ここは住所もまだない開発地域で都市伝説の格好の餌食になっているだけという可能性も否めない。

 この嫌な予感は、僕のはやとちり (・・・・・)な気がする。どちらにしても、早く見つけて、全部終わりにしたい。

 今日のこの仕事も。そして、この戦い自体も。

 けれど、終わったら、僕はどうなってしまうんだろう。

 こうやって静かだと、物思いについ耽ってしまう。

 ひどく矛盾した気持ちを、僕はいつも抱えている。責任や人助けのためという概念を超えて、もはやこれが僕の存在意義となってしまったように思える今。

 僕はこの行為から足を洗うことなんかできるんだろうか。

 この戦いが終わったら、僕は僕であるという確証を失うんじゃないかと怖くなる。“人であったもの” を殺すことしか能がない僕。

 随分と長く、この仕事を続けてきてしまったから。

 抜け出せない。深い闇。

(もが)いたら、踠くだけ深い闇がそこに待ち構えて、引きずられる。

 けれど赤く塗りつぶされる時だけ形が見える。僕の存在を確かに感じる。生きている実感がある。

 ここが一番、確かな世界だ。

 彼が生きていてくれたら。

 もしかして、少しは違かったのかな————

————        』

 聴こえた。

 来る。

 感じる。

 あと少し。

 足音を消して、屋上の柵を乗り越える。

 僕は遠く、ビルの隙間から見える広いレンガの歩道に目を凝らす。そしてしばらく、そのまま待機する。

 少しして、見えてきた。赤い人影だ。小さい影がゆらゆら彷徨うように揺れている。

 あの大きさは、まだ子供だ。ネット掲示板の情報とも合致する。かわいそうに。

 それでも。

 僕は殺さないといけない。

 それはもう人間じゃない。

 僕は殺さないといけない。

 僕は、それを、殺さないといけない。

殺さ (助け)ないといけない。

「こんな気持ち……、もう僕一人で十分だ」

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