鴉
薄暗い廊下を抜けて、待機スペースまで進んだ時だった。
「シュン」
琉央の声がした。考え事が頭の端に追いやられる。
声の方を見ると、ローテーブルにパソコンと変な機械(僕にはよくわからないやつだ)を散らかして琉央が何やら作業をしていた。
「わぁ、今日はお出迎えがいっぱいいる」
僕がふざけて笑うと、琉央が珍しく怒った顔で僕を見遣った。この調子だと僕のことを待ち伏せていたんだろうな。困ったな。二人揃って。
「また一人で行ったのか」
琉央の語気は強い。
「何怒ってるのさ」
僕は茶化すように返した。
「魁が心配してずっと待ってた」
「知ってるよ。上で会ったからね。あ、相棒を取られて怒ってる?」
「ふざけるなよ」
「図星のくせに〜」
琉央がパソコンを傍に退けた。
あ、これは怒られるなぁ、と他人事のように思った。
「またあれ を使ったんだろ」
あれ、というのは、きっと丹に直接撃ち込んで同調を強化する弾の事だ。通称、血弾 とも呼ばれるあの銃弾は僕の大量の血から作られる。だから、頻繁に僕が使うのを琉央はこの上なく快く思っていない。
あれは本当に困った時に使う最終手段だ。文字通り自分の一部を相手に埋め込んで強制的に強く同調する。うまく使えば一瞬で丹を無害化できる。
彼らの苦しみを、一瞬で終わらせてあげられる。
「よく知ってるねぇ〜」僕は笑った。
「僕の事隠し撮りでもしてるの?」
「見れば分かる」
「どこを?」
「顔を」
「なにそれ。面白いこと言うね」
「何年の付き合いだと思ってる」
「たった、7年」
「僕の人生でそんなに長い事付き合いがある人間は君だけなんだ」
「ふぅん、僕は違うけどね」
あ、ちょっとムスッとした。琉央が感情をむき出しにするのは珍しいな。他人事のようにそう思う。
そして、同じ人のことを思い描いているのも分かる。付き合いがそこそこ長いと、こういうところがとっても不便だ。
「そうやって無闇にあれを使うな」
「はぁい」僕は間延びした返事を返した。
「あれを1つ作るのに、君の血を何リットル使ってると思う?」
「えへへ、約20リットル」
「本当に、お前。その数字の意味がわからない訳ないだろう。いい加減にしろ」
「はいはい、ご心配ありがとう。でもさ、一緒にきて欲しいって言ったって付いて来ないじゃない」
「任務の一環じゃない。まず上に通すべきだ。死んだら元も子もない」
「殴ってでも止めてくれればいいのに」
「お前の骨が何本折れると思う」
「わぁ琉央くんの怪力こわぁい」
はぁ、と琉央がため息をつく。
「君に何を言っても通じない」
「それはお互い様」
僕は言って口角を上げる。
「これは僕の趣味なんだよ。命がけで、早急に、人を救うっていうね。それこそ君には分からないと思うよ」
「そりゃ結構だけど、その前に自分を大切にしろ」
「大切にしてる。僕自身の心の安寧を。人の生活の安寧を脅かす存在を、知ってて放っておくことなんて出来ない。僕の身が例え朽ちようと、僕は最期まで全力で人々の安寧の為にこの身体と能力を使う。それが僕の存在意義だ」
僕の言葉に琉央が黙り込んだ。
だから、と僕は言葉を続ける。
「もう、その事には何も言わないで。心配なら一緒に来ればいい。それで僕を守ってくれればいい。口じゃなく行動で示してくれればいい。でも、何もしないなら、来ないなら、僕の事は放っておいて。
君には僕の気持ちはきっと分からない。僕は僕の気持ちに従順に生きていく。君は好きにすれば良い。君の気持ちに従順に生きろよ。だから、僕も好きなようにさせてくれ」
少し間をあけて、琉央が「一也が」と呟いた。
「君の事、心配すると思うよ」
「お前も魁と同じこと言うの?」
「同じ事を言った?」
「言ってたよ。本当に、まったく。お前たち根っからの相棒だね。羨ましい限りだ」
羨ましい。本当に、妬ましい。
何も考えずに。隣に当たり前の存在がいると言うのは。
安心がそばにあって。守れる場所があって。一緒に守ってくれる人がいるというのは。
この上なく羨ましい。僕はお前が羨ましい。
僕はあの時からずっと孤独のままだ。
だから止まれない。止まったらこの孤独に潰される。だから僕は、“存在意義” を支えにして、ただ前に進むことしかできないのに。
「零樹さんが死んでから」
「……」
「お前はなおさら死に急ぐ」
琉央の言葉に血がぐっと頭に上る。
「だから、あの子が来たから少しは改善されるだろうって?」
僕は語気を強める。
「零樹さんは零樹さんだし、あの子はあの子だ」
「けど————」
「やめてくれよ」
僕にしては乱暴な言い方をした。けれど、悲しくて。止まらなかった。
知っているさ。昔馴染みのお前だけには言われなくないよ。と。僕の背負う物を、昔から、ちっとも理解していない癖に。と。
これを言ってしまったらきっと取り返しがつかないんだろうな、とも思う。
自分の事は誰にも分からない。分からない事、それ自体が分からない時だって、きっとある。
頭の端は冷静で、中心はとても感情的だ。稚拙な言葉を吐いてしまいそうだ。
ああ、酷い。
僕は強く唇を噛んだ。ぐちっ、と音がして、唇の皮が切れたのが分かる。そしてゆっくり唇を舐める。血の味がした。
暫く黙り込んでから、僕は一つ息を吐いた。
「僕が……一番知ってるんだから。これ以上。不躾に。ひどいじゃないか。君自身が気付かぬうちに。僕の大切な部分に踏み込むのは。…………やめてよ」
琉央はよく分からない顔をして僕を見ていた。仕様のない事だ。分からないのだから、変なところで放って置いてくれないんだ。
「報告書はちゃんと書くから安心してね」
言った僕は、きっと変な、困ったような笑顔だったと思う。
「そういう事じゃない」と琉央は言った。
けれど僕はまたふふっと笑って息を吐いた。
「そういう事だよ。琉央が言ってる事は」
琉央が何か言いかけた。
「おやすみなさい」
僕は彼の声を遮る。
そうして、足早に、自分の部屋に向かって歩き出した。