鴉
「ハクさん、準備できたよ」
レンが言ってこちらに歩いてくる。そしてそっと棺桶を覗いて、少し顔を顰 めた。
「どうした?」
僕が尋ねるとレンは「大丈夫」と一言溢して手を合わせる。
「嫌な感じがしただけ。丹が。この、死んでる人じゃなくて」
「そう」
「訓練と全然違う。……人に取り憑くと、こんなに嫌な聲 がする。ツツジ君に聞いた通りだった」
「聲が聞こえた?」
「うん。呻き声、みたいな」そう言って、レンがこちらを見て首を傾げた。
「ハクさんは、もっとはっきり聴こえた?」
「……いや。僕はあまり、聞こえないよ」
「そっか……」
オレの空耳かな、と呟くレンを、僕はなんとも言えない気持ちで見つめた。
そうか。彼も聲が聞こえるのか。聲が聞こえるということは、同調・共鳴能力が強いということだ。
羨ましい限りだな。
あまり、人にそういった気持ちを抱く事はないけれど。殊に、この同調能力や共鳴能力に関して言えば、僕自身とても執着心が強くて、気持ちの整理がつかないことが多い。
レンが音叉を取り出す。けれどすぐ、先生の方を見やって、今度は僕に目配せする。先生の前で同調してもいいのか、と聞きたいらしい。
僕が頷くより先に、先生が控えめに笑った。
「案外となんでも知ってるって言ったでしょう。大丈夫よ」
レンはその言葉にホッとしたように下を向いて、すみません、と呟いた。そして、もう一度こちらを見る。
「オレ一人でやってもいい?」
真剣な顔だった。そう言えば、一人でやってみろ、とは言っていなかったな。
「端からそのつもり」
僕が言うと、レンは、ありがとうございます、と言って棺桶の前に片膝を立てて座った。
レンが小さく息を吐く。そして音叉を膝に叩いて口に運ぶ。そのままゆっくり柄を噛んだ。
同調する。
感じる。共鳴用の音叉を噛んでいなくても、レンの音が伝わってくる。
懐かしい。
思わずそう感じて、直ぐに心臓が痛くなる。
似ている。あの人に。
僕に同調の稽古を最初につけてくれたのは零樹さんだった。
「よく見てて」と言われ、目の前で同調する姿を見せてもらった。その、初めて感じた感覚の鮮烈な記憶が、目の前で重なって見える。
こんなにも似ているというのは、あり得る事なんだろうか。
今まで、レンの同調には何度も立ち会ってきた。けれどこんな感覚は、今まで一度も感じたことがなかった。
もしかして、僕の感傷的な気持ちが “酷似している” と錯覚させているのか。それとも、今までの訓練は彼の力の一端を感じていたに過ぎず、こちらがレンの本当の力なんだろうか。
レンが音叉を口から離して、もう一度膝に叩く。そして、再度口に咥える。
同調する。丹の意識がレンに向かっていくのを感じる。
低く脳が揺らされる。安堵感に似た心地良さが背中を撫でる。夜の帷のように空間を包み込んで、音の中に静けささえ感じる。
その瞬間、僕は理解する。あの人に似ているという問題以前に、僕が追いつけないほどの強い力を、レンが持っていることを。
あの人が死んで、あの人の代わりにシュンの相棒としてひとときを共にした中途半端な僕を嘲笑うようだ。
なるほど君は。
遺伝子が、あの人と極めて近いだけじゃなく。僕に出来なかった事を、いとも簡単にこなしてしまうのか。
少しでもシュンの力になりたいと、昔から願っていた僕の力なんて。おそらく、君の前では、到底及ばないんだな。