鴉
「———— うおっ!」
砂埃が舞う。叩きつけるような風圧に、俺の体も吹き飛ばされた。空中で咄嗟に体制を整える。
右脚全体で着地して、口に入った砂をぺっ、と吐き出した。
何だ。
風が吹いた方向を目を凝らす。よく見えない。辛うじて持っていた刀の柄を握り直しながら立ち上がる。
柄を叩いて血振りをして上段に構えた。左膝が少し痛い。膝を打ったみたいだ。
段々砂埃が止んでくる。10メートル程先。暗い広場の中央。地面に大きな打痕 が見えた。
上から何かが落ちてきた?
打痕の中央に人型の何かが見える。俺は急いでハクくんの傍に寄った。
「何あれ、人?」
「分からん」ハクくんが呟く。
打痕を取り巻く濃い土煙もだんだん薄らいでくる。色形がはっきり見えてきた。赤黒い。丹だ。
人型だけれど、そのシルエットには首が無い。初めて見た。なんであんなものが空から降ってきたんだ。
「空から首なしカイカイさんが降ってきた……」
俺が呟くと「経緯は後で捜査しよう」とハクくんが答える。
「それに、アイツを “カイカイさん” と定義するのは尚早だ。三形は脳が丹に侵されることを発端に自立徘徊する」
「え、じゃああいつ———— 」
俺が言った。次の瞬間。
凄まじいスピードで奴がこちらに向かって突進してきた。
早い。
すかさずハクくんの前に出て、攻撃を鍔 で弾き返す。跳ね返った奴の胴体には無数の目が付いている。俺は目を逸らさないまま、音叉を叩いて咥える。
ツンッ、と音が額のあたりに響いて沁みる。
そしてすぐに。意識が引きずられる。ぐっと息が詰まる。
聲が俺の中に入ってくる。
『おいで』
『いっしょにいて』
『でておいで』
俺は動揺する。
突進してくる体を往なす。
『助けて』
速度も。温度も色も。
『きもちいいよ』
『もっと深く』
『ちかくにきて』
『いやだ』
『いかないで』
『よんでる』
「……っ!」
さっきの聲に似てる。
『ねぇ』
危ない。咄嗟だった。
凄まじい勢いで突進してきた奴を避けた。
後ろでゴッと音がした。ハクくんに当たった?
「ハクくん!」
俺が思わず振り返った。
その時————
『ね』
「———— っ!」
視界の端を赤いものが掠った。
しまった。
次の瞬間、左腕に痛みが走った。奴の腕が伸びて、大きく歪んだ手が俺の左腕を握っていた。
まずい、と思った。
けれど、冷静な頭の端で、大丈夫だ、と俺は判断した。人の手みたいな感触。おそらくまだ硬化が弱い。丹の濃度は薄いはずだ。
それに服の上から掴まれただけ。同調して無害化すればまだ丹病が深刻化するのを防げる。
どちらにせよ早く終わらせないと。
俺は奥歯を噛んだ。奴が構える。もう片方の腕は硬化している。
腕を縮める反動を使って俺に突撃する気だ。
まずい。
思った瞬間。奴が体を飛跳ねさせた。突進してくる。目前に迫った。
寸前、俺は力を込めて体を右前方に回転させた。奴の攻撃を避けて懐に入る。刀を下段逆手に構えた。
ヒュッと刀が風を切って、俺を掴む奴の腕にめり込んだ。
そして、一気に腕を切り落とした。
『痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い』
聲が痛い。
「うぐっ」
思わず嘔吐く。音叉はとっくに口から放しているのに。
どうして、こんなにも同調してしまうんだ。奴から体を離して、未だ俺の腕を掴む奴の手を、腕を振って放り投げた。
奥歯を噛む。
奴を視界から外さずにハクくんの姿を探す。
いない。いない。どこだ!?
焦る。
それがいけなかった。
『ね』
途端に。俺の心にできた隙間に、ぐっと何かが入り込む。
心が自分のものでなくなる。
ヤバいと思った時には遅くて。
身体の主導権が、無くなったみたいに。身体の力が抜けていた。
『あいたかった』
『いたいよ』
『しんじゃう』
『てをはなさないで』
涙が出る。
どうして。同調が深すぎる。目の前が霞む。流される。
理性に反して体がその聲に委ね始める。
なんなんだコイツ!
『きて』
あ。
ちょっと。ダメかも。
ここまでが全て一瞬の出来事なのに。まるでコマ送りするみたいに。何秒にも感じて。
奴が目の前に迫って来る。動けない。
動けない。
さっき握られた左腕が痛い。
体が動かない!
痙攣する目で必死に周りを見る。
視界の端で捉えた左腕は血が滲んでいた。ああ、これのせいだ。
腕を掴まれただけだと思ったのに。傷をつけられていたのか。
毒が回ったように体が動かない。丹が体に周りはじめているんだ。
体が膝からがくっと崩れる。体の主導権が奴に完全に握られた。
目の前にまで来た奴が、大きく腕を振り上げる。
うわ。これ、死んだかも。