鴉
———————— 魁君が身じろいだのを感じた。
「魁君?」
オレは思わず立ち上がって魁君の顔を覗き込む。
酸素マスク越しに、口元が微かに動いた。
そうして少し間をあけて、魁君がゆっくりと目を開けた。
「……カズ」
そう一言、魁君が小さい声で呟いた。
「魁君!!」
オレは思わず魁君の胸に飛び込んだ。
「……っ魁君! ……よかったっ! ……魁君、っ……」
いつの間にか溜まっていた涙が、ぽたっとシーツに落ちるのが見えて、途端に恥ずかしくなる。
そんなオレの背中に、暖かいものがゆっくり降ってくるのを感じた。魁君の手だ。点滴の繋がったその手が、オレの背中をゆっくりと撫でた。その手の感触に、やっぱり、オレの視界は涙でじんわりと滲む。
頭を上げて魁君を見ると、魁君の薄らと開いた躑躅色の瞳と目があった。良かった。意識はしっかりしてるみたいだ。
「琉央さん呼んでくる」
オレが言うと、それを止めるみたいに魁君がオレの手首を強く握った。そして小さく首を横に振る。
「呼ばない方がいい?」尋ねると、魁君が目を逸らした。
「……かお。見たら、泣く、から」
泣くのか。魁君が。オレは少し呆気にとられて、でもすぐに「そっか」と呟いた。
握られた手はそのままに、オレは静かに椅子に座り直す。
起きてすぐにそんな言葉を言うなんて思わなかったから、少し驚いた。それに、魁君が泣いているところを想像できなかった。
琉央さんの顔を見たら逆に「大丈夫だよ〜」とか言いながらへらへらしていそうなのに。
魁君にもそんなところがあるんだな、と、少し安心した自分もいたし、それと同時に、やっぱり危ない状態だったんだな、と。何もできなかった事を反省する自分もいた。
しばらくの間、オレは目が半分しか開いていない魁君の手を握っていた。
オレの涙もすっかり乾き始めた頃。魁君がうとうとし始めて、そして瞼がゆっくり落ちていくのが見えた。
それと一緒に、握られた手の力が抜けていくのを感じた。
「寝ちゃった?」
数分して、小さい声で魁君に尋ねてみた。
返事はない。代わりにすぅすぅと呼吸する音が聞こえた。寝たみたいだ。
魁君の手をそっとベッドに戻して、音を立てないように立ち上がる。ちらっと魁君の様子を確認する。ゆっくり呼吸しているのが見えて、安心してオレは病室を後にした。
「———— っ、いつからいたの?」
病室を出てすぐ。
廊下を挟んで向かい側の少し離れたところにあるベンチに、琉央さんとシュンさんが座っているのが見えて驚いた。なんで中に入って来なかったんだろう。
琉央さんが、オレの声に気付いたみたいにこちらに顔を向けて片手を上げる。
隣に足を組んで座っているシュンさんは書類を持って俯いている。琉央さんもシュンさんも出動した時と同じ格好のままだ。まだ着替えてなかったのか。
ベンチまで歩いていくと、琉央さんが「お疲れ、一也」と一言呟いた。
「魁君のとこに行かなくていいの?」
オレが尋ねると、琉央さんは困ったようにほんの少し眉尻を下げた。そして「これ」と言いながらシュンさんの方を指差す。
シュンさんの方を覗き込むと、シュンさんは琉央さんに寄りかかって書類を握ったまま眠っていた。
「寝てる」
思わず呟くと「珍しいんだ」と琉央さんが言った。
「珍しいの? シュンさんの寝顔」
「都会にいる蛍ぐらいSSR」
「……ふぅん」
琉央さんの喩 えは、ちょっとよく分からなかったけど、シュンさんの睡眠時間に希少価値があるのは無学なオレでもよく理解できた。
「場所、変わるから魁君のところ行ってあげなよ。さっき一瞬目が覚めたよ」
オレが言うと、琉央さんが驚いた顔をして、深くため息をついた。
珍しい顔。SSRだ。魁君の事になると、琉央さんは途端に人間臭くなる。普段が人間っぽくない、と言う意味じゃないけど。
『出会った時からすでに自分の一部』と魁君が言っていたのと同じように、きっと琉央さんも魁君のことを自分の一部みたいに思ってるんだろうな。そう、なんとなく思う。
琉央さんがオレの顔を見上げる。そして「でも、」と呟いた。
オレが首を傾げると、少し言い辛そうにすぐに下を向いた。
「魁の顔を……、見たら泣きそうだ」