TSUKINAMI project

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「あら一也さん、いらしたんですね」

「あれ、今日は結姫先生いないんですか」

 カフェのアルバイト期間が終わって2日後。

 高校の後期の始業式に出席して、一旦屯所に戻ってから訓練のために第四研究室を訪れたオレを迎えてくれたのは、結姫先生ではなく、その秘書兼副主任を務める植月 (うえつき)かすみ先生だった。

「午後からいるって聞いてたから、今日はいるかと思ったのに」

「そうなんです……。ごめんなさい、急に会議が入ってしまったようで」

 かすみ先生はオレにそう言って残念そうな顔をした。かすみ先生は華奢だし小柄で、クリーム色の長い髪をした大人しそうな見た目の女の人だ。

 言葉遣いも丁寧で、フレームのない眼鏡も相まって、いかにも “お嬢様” のような雰囲気を漂わせている。

 今まであんまり話す機会もなくて、きちんと面と向かって話すのは、もしかしたらこれが初めてかもしれない。

 改めて話すと声も可愛らしいし。今まであんまり会ったことがない感じの人で、オレは思わずドギマギした。

「すんません。連絡、してなかったし……」

 言ってオレは頭を下げる。

 すると、かすみ先生は「とんでもないです」と言って微笑んでくれた。

「訓練でいらしたんですか?」

「そのつもりで来ました」

 オレが答えると、先生は困った顔で持っていた資料を机の上に置いた。

 それから掛け時計を見て「えっと……」と声を漏らす。

「一也さん……ごめんなさい。訓練室は結姫先生か琉央先生しか開けることができないんです。

 結姫先生がお戻りになるのは早くても2時間後の予定です。代理で解錠が可能な琉央先生 (・・)もご一緒ですから……どちらにせよお待ちいただく必要がありますね。お力になれず恐縮です……」

「そうなんすね」オレは答える。

 そういえば結姫さんも琉央さんのことを “先生” って呼んでいたかも。思い出して少し笑う。

「いかがなさいました?」

 首を傾げるかすみ先生にオレは「いや」と答えた。

「琉央さんって、みんなに “先生” って呼ばれてるんだな、って思って」

「そうですね。第二研究室の主任研究員でいらっしゃいますから」

「…………え?」

 何気ないかすみ先生の返事にオレは思わず目を見開く。そして「主任、なんですか?」と改めて聞き返した。

「はい。11研究室ある中でも最優秀と申し上げても過言ではない主任研究員でいらっしゃいますよ。……ご存知ありませんでしたか?」

 不思議そうなかすみ先生に「知らなかったです」とオレは小さく呟いて下を向いた。

「前は研究員してたっていうのは、何となく知ってたけど……」

 そうとも呟くと「あら、そうでしたか」と、かすみ先生が優しく笑った。

「今でも研究員として在籍していらっしゃいますよ。ですが……琉央先生は寡黙でいらっしゃいますから、特段必要がないと判断し、お伝えしていなかったのかもしれません。一也さんがご存知ないのも仕方がないのかもしれませんね。ホウレンソウがなっていないと結姫先生が怒りそうですけれど、ふふっ」

 寡黙。

 いい言葉だな。かすみ先生の丁寧な言葉達の前では、どんな欠点も長所に変わってしまうのかも。

 それでも、オレは少しむっとして唇を尖らせる。

「なんでそんな重要なこと教えてくれないんだ」

「仕方がありませんね……。一つの事に集中すると、どうしても他のことは後回しになってしまいがちなのでしょう。琉央先生は一途な方ですから」

「一途……」

 今度はオレもオウム返しに呟く。

 ちょっとクサい。けど、いい言葉だな。

 確かに、魁君の事になると途端にダメダメだし。嘘が極端につけないのも、本当に大事だと琉央さんが個人的に重要だ (・・・・・・・)思うもの以外はズボラだっていうのも、よくわかってたつもりだけど。

 これは本当に重症で難儀だ。

 でも。現場に出動したら体術も強いし、システムの事だって全部琉央さんがやってるし。

 それに、シュンさんとの共鳴深度だって————

 と。そこまで考えてオレは小さくため息を吐く。

「まぁ、琉央さん。そういう人だから……」

 オレの諦めたような呟きに、かすみ先生が首を傾げる。

 それから思い付いたように「そうだ」と綺麗に微笑んだ。

「お時間があるようでしたら、おやつ、召し上がりませんか? ちょうど今日作ったものがありまして」

「おやつ?」

「パウンドケーキ。お好きですか?」

 そう言ってかすみ先生がデスクに駆け寄って、上にあった紙の箱に手を伸ばす。

 そしてオレの目の前に持ってきて、丁寧にその箱を開いた。

「うわぁ、旨そう」思わず声が漏れる。

 中にはたまご色の、まるで売り物みたいに切り揃えられたパウンドケーキが並べられていた。

 特にこれといって変わったところはないけれど、きっと口に入れたらふわっ (・・・)として美味しいんだろうなと思わせるような、うっすらとした耳の焼き色だ。

 思わず匂いを嗅ぐように中を覗き込む。バターのいい匂いがした。

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