鴉
「甘いもの、苦手ではありませんか? それに、体重制限とかしてないですか? あ! 結姫先生には秘密ですよ! これ、結姫先生にプレゼントで作ったんです! でも、ちょっと自信なくて……味見、していただけると嬉しいなぁ、と思って」
「ふっ、大丈夫っす。結姫先生にも言わないんで」
ちょっとだけ必死なかすみ先生に笑いながら、オレはケーキの切れ端らしき焼き目が多めについた一つを手に取って、ゆっくり口に運んだ。
口に入れた途端、思った通りのバターの香りが鼻を抜けた。咀嚼すると、ふわふわだと思った見た目よりも随分となめらかで、しっとりして。
すごく、おいしい。しつこくない、けれど満足感のある甘みがかすみ先生らしいな、と思った。
「……超おいしいっす」オレは感激しながら、食べかけの残りも口に放り込む。
これは、何回でも食べたいかも。オレの好きな味だ。
「結姫先生、喜ぶと思う」
そうとも言うと、かすみ先生は「良かった〜!」と嬉しそうに顔を綻ばせた。
「実はこのレシピ、委員長に教えていただいたんですよ!」
「……シュンさん?」
「はい。委員長はお料理上手でいらっしゃいますから」
「…………へぇ」
オレはちょっと複雑な気持ちがして、ケーキを味わいながら目線を反らす。
かすみ先生が何かを察したように「えっと……」と呟きながらオレの顔を覗き込んだ。
「その後…………委員長とは、いかがですか?」
「その後?」
オレが尋ね返すと「はい」と、かすみ先生が頷いた。
「同調共鳴検査の後、共鳴深度について一也さんが随分と悩んでいたと……。結姫先生が心配していらっしゃいましたよ」
「あぁ……」オレは呟いて下に視線を向ける。
「もしよろしければ、ケーキ、もう一つ召し上がりませんか? 作りすぎちゃったので」
かすみ先生が言って、オレに近くにあった椅子を勧めてくれる。
そして、紙コップを机の傍にあるカゴから取り出して、慣れた手つきで冷蔵庫から取り出した紅茶を注いでくれた。
「残ってしまっても、手作りなので消費期限が短いんですよ」
駄目押しするみたいに、そう言うかすみ先生の言葉に押されて、オレは素直に勧められたパイプ椅子に座った。
気が付くと、机の上にはいつの間にかお手拭き用のティッシュとか、紙皿、楊枝まで用意されていた。
オレはそれを見て、なんだか懐かしくて。
母さんのことを思い出して、ちょっと目頭が熱くなる。母さんも、オレと一緒にいるときはこうやって世話を焼いてくれた。
自分でやるって言っても「ついでだから」とか言って目の前にいろんなものが並べられて。いつの間にかティッシュ箱がオレの隣に移動していたり。使わないって言ってるのに「フォーク使う? スプーンにする? 箸がいいかな」とか。いろんなことを尋ねてきたり。飲み物が勝手に用意されていたり。
看護師だったっていうのもあるのかもしれないけど。こういう、些細なことに気が付くところって、きっと “母らしい” っていう部分なのかもしれない。
煩わしいって、そのときは思っても、オレはことあるごとに、こうして他人の仕草を見て母さんのことを思い出してしまう。
オレは人の性別に疎い方だけれど。昔から言われてる女性らしさって言われる部分の偉大なところって、もしかしてこういう “ささやかにいつもそばにある愛情” なのかもしれない。
あぁ、思っていたより随分と、愛されていたのかも。オレは。思わず涙が出そうになって、唇を噛んだ。
「あら……いかがしましたか?」
先生の言葉に、オレは咄嗟に「いや」と言った。
けれど、顔を覗き込まれた時に、オレが涙目であったことがおそらくバレて。かすみ先生がひどく心配そうな顔に変わったのがよく分かった。
「何というか……」と、オレは口ごもる。
「かすみ先生を見て……死んだ母さんのこと、思い出して」
「私を見て?」
「そういう……オレのこと……っ、心配して、手を焼いてくれるところが……」
オレは思わず涙が溢れて下を向いた。
やだな。
なんで、こんなにうまくいかないんだろう。
ようやく生活に慣れてきたと思っても。ふとした時に思い出すんだ。
きっと、シュンさんと琉央さんのことを考えたせいだ。だからこんな感傷的な気持ちになるんだ。
母さんがいなくなって、悲しくて。その気持ちから逃げるためにここにきたのに。結局逃げられなくて。
やっと見つけた自分の生きる価値だって。一生懸命にやったって。全然シュンさんに追いつける気もしない。
どれだけ頑張ればいいんだ。どれだけ頑張れば、オレは。この悲しみから逃れられる?
オレは、どうしたらいい?