鴉
「シュンさんは、大丈夫ですか?」
「え?」シュンさんが驚いたようにオレの顔を見た。
「ここ で話そうって言ったり、お茶淹れてくれたり……、どうしてかなって思って」
オレの言葉に、シュンさんはさっきと同じ顔でオレをじっと見つめた。そして、すぐに「あはは」と眉毛を八の字にして困ったように笑った。
「……そこまで、考えてなかったな」
やっぱり、シュンさんにしては珍しいと思う。オレは首を傾げた。
オレに「ごめん」と言いながら、この場所に呼び出すのは、やっぱりシュンさんにしてはおかしい。オレに気を遣っているなら、きっとここで話そうとは言わないはずだ。
今までもそうだったように。シュンさんはそう言う人だから。
シュンさんは下を向いて、ティーカップの縁をさすりながら小さく息を吐いた。
「……僕が…………少し、落ち着きたくて。一也と二人でここに来たのも、お茶を勝手に淹れたのも。……こういう、結構深刻な話をしているのにおそらく気が抜けているのも。一也に気を遣ってるんじゃなくて、僕が、安心したかったんだよ。ごめん」
言ってこちらを向いたシュンさんと目があう。
その顔がやつれたように見えて、オレは少し動揺する。もしかして、気を許してくれているのかも。そう思って、少し嬉しくなったから。
「内通者がいるかも知れない。昨日行ったミーティングでそういう話が浮上した。まだ可能性の話だけれど、万が一、最悪の場合を僕たちは常に考えないといけない。だから昨日も……正直眠れなくて。一瞬寝落ちたと思ったら、変な夢を見てすぐ目が覚めて。ちょっと散々だったんだよね」
「眠れない? シュンさんが?」
「もともと、インソムニアなんだ、僕」
「インソムニア?」
「不眠症ってこと」
「へぇ……」
不眠症。知らなかった。シュンさんの秘密を知った気がして、また嬉しくなった反面、オレはまたシュンさんのことが一層心配になった。
なるほど、琉央さんの心配性といい、魁君の過保護といい。こうしたシュンさんの一つひとつの行動が重なった結果なんだろうなと悟る。
「来たばかりの一也に、こんな話をするのも少し気が引けるんだけれど、話してもいい?」
相変わらず困ったような、情けない顔で首を傾げるシュンさんに、オレは呆れた気持ちを隠して「はい」と頷いた。
「内通者になり得そうな人間を出来るだけピックアップして、どうしたらリスクを最小限にして彼らを炙り出せるか、昨日の夜ずっと考えてたんだ。内通者を根こそぎ殲滅する為には、まず内通者を生きたまま捕まえて、弾劾、あるいは拷問しないといけない。
でもね。僕もまだ人間だから……。自分の仲間だと思っていた人を疑って、盗聴、盗撮、ハッキング、尾行なんかの用意をして、酷ければ拷問してでも内容を吐かせないといけないと考えると……少し堪 えるんだよ。それに、今日の会議も、無駄だとは言わないけれど……少し眠くて。人事、金銭の行方、見栄の張り合い、自慢話ばっかりなんだから……疲れるんだ。僕には関係のない事だしね」
そこまで言って「まぁ、西藤がいなかっただけマシか……」と付け加える。
「それだから……ちょっと気が滅入ってて。防衛士官として失格だな」
シュンさんは呟いて、ため息を吐きながら目が見えている方の右の前髪をかき上げた。その拍子に、ちらっと赤い小さなピアスが見える。
知らないシュンさんを見せられたようで、少し心臓がギュッとなった。
「サイトウさん? が誰かは知らないけど。シュンさんが眠くなるなら、その会議無駄なんじゃないっすか」
オレは気持ちを誤魔化すみたいに呟いた。
シュンさんが目線だけこちらに寄越して、オレと目を合わせる。何故か琉央さんに見せて貰った写真の中のシュンさんを思い出した。
「会議については……バカなオレにはよくわからないっすけど、取り敢えず、シュンさんは仕事しすぎだから、まずよく寝た方がいいと思う」
「うん、ありがとう」
シュンさんが穏やかに笑う。その表情がなんだか寂しくて、オレは急いで「あと」と付け加えた。
「オレにできること、まだ何も無いかもしれないけど。オレだって役に立つ為に努力してはいるつもりだから。少しは使えるかもよ」
「ふふっ、泣き虫君に言われてもなぁ〜」
「マジあんたのそういうとこ嫌いっす」
「えへ、ごめんって」
シュンさんが言って、カップに少し口をつける。
「でも……ありがとう一也。……本当に。少し気が晴れたよ」
「そう」
オレも頷いて、おんなじようにカップに口をつける。
ティーパックを出し損ねたそのお茶はだいぶ濃かったし、冷めていてあんまり美味しくなかった。
「さて」
シュンさんが呟いた。
「気が晴れたところで、概要を話したいんだけれど。少し込み入った話だから、順を追って話す。最後まで辛抱してよく聞いてほしい」
「はい」
オレは真剣な話に備えて体を硬くして構えていた。けれど、シュンさんは防衛士官らしからぬいつも通りの口調で、何も知らないオレにも分かりやすく、丁寧に事の成り行きを教えてくれた。
琉央さんと魁君が遭遇した丹化第三形態ヒトガタ “カイカイさん” の出現経路が分からない事。その聲が遠くて、魁君が無害化した時に様子がおかしかったこと。後に空から降って来た、“カイカイさん” と同じ聲を持つ所謂 “カイカイさんの亜種” の存在。そして、第六研究室が “妙な動き” をしている、という事も。
「丹は、一也も知っている通り現代科学で解明されている自然現象と粗方似通った挙動を示す。即ち、痕跡の残らない瞬間移動はできないはずだ。それだから、ああいった痕跡の残らない出現というのは人為的に誰かがそこにカイカイさんを持って来た、もしくは亜種と同じように空から降ってくる以外に考えられない。僕も経験上初めての事象だ」
「空から降ってくるっていうのも……自然現象から逸脱してる人為的な行為に思いますけど」
「そこなんだよ」シュンさんが頷いた。
「そもそもの話なんだけれど、琉央と魁が外に調査しに行ったきっかけは都心を中心とした各所に微量の丹の反応が確認された事が発端だ。それが、この騒動の後反応がすっかり消え失せた。現場に僕も足を運んだけれど、そこに残りカスしかない状態だった。このことから、天才琉央大先生の憶測によれば、バラバラに散っていた丹が何らかの力で集合し、空中でくっついてあの場所に出てきたんじゃないか、とかいう仮説が立てられるらしいんだよ。正直、眉唾だけど……」
「スライムじゃん」
カイカイさんは死体だ。バラバラになった死体がまたくっついてその場所に現れるのが突飛な発想であることはバカなオレにもよくわかる。
「そうそう」シュンさんは笑った。