TSUKINAMI project

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 久方ぶりに訪れた第二研究室は、独特な薬品の匂いで充満していた。最後に使ったのは4月下旬。丹感知装置の修理の時だ。つまり、ここに来るのは約5ヶ月振り、ということになる。

「琉央くんの研究室、超久しぶりに来た〜。ってか超埃っぽくない?」

 そう言いながら、魁が換気扇のスイッチを入れる。

「第二研究室は僕しか研究員がいない。従って、毎日掃除する研究員もいない」

 僕は答えて、中央にあるデスクの上の埃を軽くはたく。

「先任の如月 (きさらぎ)先生が亡くなって、すぐに僕がここに充てがわれた。僕が主任になった途端、元いた研究員は全員他の研究室に配属が変わった」

「それ前も聞いたけど超ひどい話じゃない?」魁が呆れた声を上げる。

「そう?」

「研究室閉鎖すればよかったのに、琉央くんにここの厄介ごと (・・・・・・・)全部押し付けたんじゃん。研究室の数が減ると予算枠が減るから」

「そう言ってくれるのはありがたいけど、僕は然程困らなかった。それに今も特段、先生と呼ばれる事以外に不満は無い。むしろ機材の申請が楽で助かる」

「まぁ琉央くんはそういう性格だよね、知ってた〜」

 魁が言いながら、はたきで色んな場所を掃除し始める。そんなものどこから持ち出してきたんだ。

 僕は持ってきたリュックを側に置いて、椅子に積んであった段ボールを下に降ろし一時的な避難場所を確保する。そしてそこに座って、テキパキ働く魁の姿をぼうっと眺めた。

ここの厄介ごと (・・・・・・・)。あれはおそらく、この国家緊急対策委員会史上最悪の事態だった。

 研究で使用していた “丹” が漏洩し、研究員の一人が丹電子障害となり死亡した。その研究員が先任の如月先生だった。

 当時、僕は第八研究室の含満先生の下で研究員として働いていた。まだ委員会に入る前のことだ。あの時の様子は鮮明に記憶している。研究室内を三形、カイカイさんが闊歩し、正に阿鼻叫喚だった。

 零樹さんとシュンがちょうど僕達の研究室に居た事で事態は無事収拾されたが、二人が研究室内にいなければどうなっていた事か。想像するのも恐ろしい。

 事態が収拾された後。他の研究員が丹電子障害になっていないか検査が行われ、そこで僕の同調能力が見出される事となったのは、まあ、また別の話だが。

 同調能力があり、丹電子障害の進行が遅いとされる黒の遺伝子を持つ、ある程度実績のある研究員。事故物件、もとい、事故研究室に充てがう人材としてこれ以上相応しい人間もそう居ないだろう。

「ねぇ琉央くん」

 呼ばれて、はたきを持った魁と目を合わせる。

「これからどうする? 借り物競争」

「そうだな」僕は呟く。

「第六に精密な振動計測装置がある。それを借りたい。まず、借りる日取りを打ち合わせしてほしい。けれど、僕の方でも準備がある。少し時間がかかるから第六で世間話でもして暇潰ししててくれ」

「あはっ、おっけ〜」

 魁が言って、はたきをゴミ箱の上で払う。そろそろ掃除が終わりそうだ。

「魁、その前に少し話をしよう」

「は〜い」

 魁が返事をして、はたきをロッカーの中に仕舞う。そんな所から持って来たのか。

 そして、僕の隣の席に静かに座った。僕は適当な書類をリュックから取り出して机の上に並べる。

「今日はつまらない話になるよ」

「はいはい」

 返事を聞きながら、僕はもう一度リュックに手を伸ばして中からボールペンと一緒にマイクロメモリを取り出す。そして、デスクの下に隠してあるメモリ挿入口に手を伸ばして、メモリをそっと押し込んだ。

 ピッ、と小さな電子音がする。そしてもう一度。今度は少し長めにピーッと小さな音がした。

 魁がふと天井を見上げる。

 僕も一緒に天井を見上げた。

 天井につけられた監視カメラの電源が無事緑色に点滅しているのを視認して、僕は微かに胸を撫で下ろす。

 偽造工作は成功だ。

「あぁ〜、これで自由の身〜」

 魁も伸びをしながら隣で呟いた。呑気なやつだな。

「何言ってるんだ」と僕は思わず言葉を溢す。

「予算がどうとか、防衛隊に喧嘩を売っただろう。運悪く将官に聞かれたらどうするんだ」

「うぇ〜だって本当の話だよ? それに俺は防衛士官じゃないし」

 まったく。反省してないな。魁の様子に僕は小さくため息を吐いて、リュックから本命のタブレットを取り出した。

 衛生救護を主たる任務とする第四研究室を除いた各研究室には、音声傍受付き監視カメラが設置されていて、僕達の行動は、全て国家防衛隊に監視されている。それに対抗して、僕は第二研究室の主任研究員の任命に乗じてカメラの回路をイジり偽造工作出来る様に改造を施した。

 さっき入れたマイクロメモリの中には偽の音声ファイルが2時間分入っている。挿入口にマイクロメモリを挿入すると自動的にその音声が流れ、動画は停止、最後に撮影した状況が静止画として映されるように設定されている。

 つまり、あたかも二人がじっと大人しくつまらない話をしている様に見える、という仕掛けだ。

「今日の講義はどれ?」

 魁がニヤニヤしながら尋ねてくる。講義。つまり、今自動的に流れている“僕が用意した原稿をただただ話し、それに魁が頷くだけの音声ファイル”のことだ。

「『第5回 丹電子障害の基礎 〜疾患の見分け方と差別の歴史〜』」

 僕が答えると、魁は「おぉ」と声をあげる。

「超タメになるやつだ」

「僕達を病原菌扱いする防衛士官達へ向けて、しかと聞け、という意味を込めて」

 元々この音声ファイルは、ここに来たばかりだった当時の魁のために、“丹” とは何か、僕が説明した内容を録音しておいたものだ。まさか、こんな風に役に立つとは。当時は考えもしなかったが。

「あはっ、ウケる〜。流石琉央くん」

 魁は言って椅子の背もたれに寄り掛かる。そして今度は「あぁ〜」と不安そうな声をあげた。

「どうした?」

「カズ、大丈夫かなぁ、と思って」

「心配?」

 僕が尋ねると、魁は「超心配だよ!」と言って眉間に皺を寄せた。

「だってあそこ、ヤバい奴の巣窟だよ? 琉央くんあんま行ったことないから分かんないと思うけどさ」

「へぇ」

 僕は相槌を打つ。

「どんな “ヤバい奴” がいるの?」

 魁に尋ねると、魁が「えぇ?」と言いながら口を歪めた。

「そうだなぁ。例えば————————

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